麻生太郎首相は、吉田茂元首相の孫。そして民主党の鳩山由紀夫新代表は、鳩山一郎元首相の孫。まるで歴史が半世紀も巻き戻されたような錯覚に陥る。
祖父同士は激しい政治抗争
昭和20年代の後半期は、吉田茂、鳩山一郎両氏の激しい政治抗争に明け暮れた。当時、小学生から中学生に至る頃であった私も、その抗争にかなりの関心を持っていたのだから、いかに激しいものであったかが判ろう。
この抗争は昭和30年の保守合同(自民党結成)によって決着。以後は自民党内の派閥抗争という形で引き継がれた。
「保守合同」は折から激しさを増していた米ソの冷戦と、それに連動する国内左翼勢力の伸長に対する強い危機感によって実現した。当時の保守系の政治指導者たちが、「小異を捨てて大同につく」ことを決断したからであった。
鳩山一郎は、終戦直後、旧政友会系を結集して自由党を結成。自らその総裁となって翌昭和21年の総選挙に勝つ。ところが組閣直前になって占領軍からの公職追放の憂き目にあい、失意のうちに野に下ることになった。
鳩山が急遽、後を託したのが吉田茂であった。そして急転直下、第一次吉田内閣が発足した。
昭和26年、追放解除となった鳩山は、吉田に政権移譲を迫るが、既に強固な政権の体制を築いていた吉田はこれに応じない。それではと鳩山は、自由党以外の保守政党や自由党内の反吉田勢力を結集。紆余曲折を経て「民主党」を立ち上げて自由党と対決した。
この両者の抗争は単に個人の権力争いではなく、日本の戦後経営をめぐる本格的な路線争いの一面もあった。鳩山は「向米一辺倒」と言われた吉田外交に転換を迫り、首相就任後は、日ソ交渉に政治生命を賭けていく。
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