このページの本文へ
時評コラム

ニュース解説

61回目の憲法記念日〜改憲運動に思う

2009年5月7日

(内田 樹=思想家・神戸女学院大学文学部総合文化学科教授)

 昨今、北朝鮮の「ミサイル」問題や、中国の軍事大国化などの「外患」を背景にした改憲論をよく目にする。改憲派の政治家も、毎年5月3日の憲法記念日には全国各地で自説を主張し、改憲の必要性を訴える。だが「公人」たる政治家の地位は憲法に準拠して定められた諸法が保障している。だから政治家が改憲論を口にするとは、ある種の自己否定という矛盾を内に抱えることになる。61回目の憲法記念日を迎えたいま、改めて改憲論の「あるべき姿」を考えてみたい。

政治家が改憲を口にするとき、「恥じらい」や「疚(やま)しさ」はあるか

 改憲運動については、つねに強い違和感を持ち続けている。それは改憲を呼号する政治家たちが自分たちの言動のうちに、「恥じらい」や「疚(やま)しさ」を感じているように見えないからである。少なくとも、いささかの「ねじれ」の感覚が彼らの表情を曇らせ、その語調を微妙に歯切れの悪いものにしてよいはずなのだが、それが私にはどうしても感知できない。

 なぜ、改憲を口にするものが「恥じらい」や「疚しさ」や「ねじれ」を覚えなければならないのか、その理路がわからないという人がいるだろう。それについて書きたいと思う。

 最初に憲法の条項を確認しよう。

 国会議員は憲法を守る法律上の義務を負っている。その義務は憲法「最高法規」の項に規定してある。

 「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

 政治家たちは、今現在、この憲法に準拠して定められた諸法によって、日本国を統治する権限を行使し、その地位を保全し、給料を貰って生計を立てている。その地位も機能も、この最高法規によって守られている。そして、それにもかかわらず「この憲法を廃絶せよ」と声高に主張している。そのことについて「これではいささかことの筋目が通らないのではないか」と思うことは彼らにはないのだろうか。

■変更履歴
タイトルおよび第1段落で「63回目の憲法記念日」としていましたが、正しくは「61回目の憲法記念日」でした。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。[2009/05/08]
ビジネス・アウトソーシング比較サイト
BIZトレンド

BIZトレンドは「総務」「人事」「マーケティング」の3つのカテゴリで、厳選された企業のBtoBサービスを一覧で比較し資料請求やお問い合わせができるサイトです。

トップ特集企業・経営情報・通信パソコンライフ電子・機械環境建設医療時評コラム中国キャリワカひと・話題ビジネスABC特設新刊

このページの先頭へ

本文へ戻る