国語力の新しい定義
第1回目では「コミュニケーションとして国語」を捉えなおすために社会人として最初に読むべき作家を提示しました。それは、司馬遼太郎、松下幸之助、P.F.ドラッカーでした。これらの作家たちがビジネス感覚を磨くうえで参考になると言いました。
以下に図にしてみましたので参照してください。(1)従来の国語力は「教養」として存在しておりました。主に小説・随筆・評論の考察、漢字、文法、言語学を視野に入れたものでした。つまり、学問として取り扱われてきました。(2)コミュニケーションとしての国語力は、日本語を基に「読む」「聴く」「話す」「書く」を駆使して仕事で成果をあげることを目指します。つまり、実務・実践として取り扱います。

仕事で求められている国語力とは、正しく美しい日本語力ではなく、いかに他者に伝わり成果を生む機能をもっているかです。そういった観点から国語力を見ると、大抵のみなさんは駆使できていない事実にぶちあたります。
例えば、みなさんは就活の時にさんざんエントリーシートや作文を書いてきました。ここでは、社会人としての基礎能力を計られてきたわけです。作文の記述に根拠があるのか? 学生時代にやってきたことを整理して伝えられる能力はあるのか? 論理的な思考ができるのか? 行動と結果が伴っているのか? 人間関係を円滑にしていく力があるのか?……そういったことが今の時点でどれほど顕在化しているのかを見られていたわけです。ちなみにみなさんが就活時に書いた作文が残っていたら、読み返してみてください。かなり恥ずかしいことが書かれているはずです。
会社は、あなたが潜在的に持っている能力まで見据えて採用してはくれません。あなたが仕事をしていくうえで最低限の能力を持っていると判断して採用しているのです。私のようなクリエイターという職業であっても、同様の視点で採用されているのです。隠れた才能を見出してくれるほど、会社は甘くはないのです。





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