コメントありがとうございます。
先週末、「ヤマガラの森」で植生調査を行いました。昨年春に、13種、640本を植えました。その後、植えた木でも枯れてしまったものもがあれば、自生してきたものもあります。自生も樹種の中に、植えたものと同じ、コナラやクヌギ、エゴノキもあれば、植えたものと同じカエデでも、種類が違うものもあります。また、ネムノキやヤマザクラのような、植樹の樹種に入っていないものも自生しています。
自生したもののうち、どれを残し、どれを生かすのか。その選択は僕ら人間に任されています。狭い林地の中ですべての樹種を残せば密度が上がりすぎて、共倒れになってしまうことは明かです。実際、ひこばえ(伐採した木の切り株から出てくる新芽)は、1株から数十本も出てくるために、放置するとたちまち広がって半径数メートルを占拠してしまい、そのわりに根はひとつですから、すべての芽に養分を供給できないのです。
山に入って、木の状態を見ながら、取捨選択をしていると、木の1本ずつを見ても意味がないことに気がつきます。山全体が生命なので、1本ずつの木を切るかどうかに意識を集中していては、ダメなのです。全体をどうやって生かしていくか。その中で1本の木を判断する視点が求められます。
さて、いただいたコメントに返信したいと思います。
コメント:美味い魚を酒の肴にするために里山保全にちょっとだけ手を貸している者にとっては誰がその里山を保全しているかに関わらず、保全のために手がかかっている里山所有者には幾許かの優遇税制があって然るべき。地域によってはボランティアの手が入って保全の痕跡がある(補助申請も伴う)里山管理者(団体)に補助金を支給している。何もしなければ破壊の一途を辿る運命になるわけで、環境・資源への貢献を評価すると伴に破壊修復にかかるコストとの考量も評価の対象とされれば尚説得力がある。里山の集合体が「山」になるわけですから。
reply:ご指摘の通りだと思います。日本では、民法の規定によって私権が強く、私有地としての土地の、公共的な価値についてはほとんど考慮されません。同じことが建築物にも言えます。
住宅やビルは個人の所有物としての意味と、地域の都市インフラとしての意味があり、特に欧州では、構造と外観は公共物、私権は室内のみというぐらい徹底しています。日本でそこまでの公共性を認めるのは難しいかもしれませんが、どこまでが公共かという議論は、もっとしっかりやっていくべきです。特に都市に近い森林はすでに絶対量が限られているので、以前にも増して公共性、社会的価値が高くなっています。こういった事実をしっかり認めていくべきですね。
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