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当事者から探る米国“医療ミス”の実態

2005年11月24日


 1999年、米国科学アカデミー医学研究所が「米国では毎年9万8000人の入院患者が、防ぎうる医療ミスで死亡している」という報告書をまとめた。朝鮮とベトナムの戦死者を合わせたよりも多い数字にみんなが驚いたが、それでも、これには診療所や日帰り手術センターなどの手術ミス、薬局での薬品取り違えによる死亡などは含まれていない。



 もし、ある業界、例えば航空業界で毎年10万人の人が事故死したらどうなるだろう。直ちに議会による責任追及が行われ、業界は必死に原因を究明して再発防止に巨額の投資を行なうはずだ。こんな危険なサービスを提供して生き残れるビジネスなど普通はない。「なぜ医療だけにはそれが許されているのか」と疑問をもった2人のジャーナリストがまとめたレポートが「沈黙の壁」である。



 もとより医学、医療に完璧はない。人は誰でも過ちを犯すし、医師とて例外ではない。加えて複雑化した医療システムにはミスを誘発する条件がいくらでもある。航空機事故のほとんどは、技術的なミスよりもスタッフの意思の疎通が破綻したときに起こるといわれる。現代の医療も医師、看護師、薬剤師など各種の専門技術者のチーム作業になっているが、医療現場でお互いのコミュニケーションがうまくいっているとはとても思えない。医療の世界の後進性、たとえば強制残業や睡眠不足が常習化している過酷な労働条件、電話や手書きメモに頼る事務管理、同僚のエラーを見過ごす人間関係、あまりにも似ている薬品名など、旧態然の実態も手つかずのままだ。



 しかし、だからといって乳がんで入院した妻を、がんのためでなく投薬ミスで亡くした遺族がそれを許せるはずはない。それも「0.5グラム」と書くべきところを「.5グラム」と書かれた手書きの処方箋が原因だとしたらなおさらだ。おまけに被害を受けても、なぜ自分や家族がこんな目にあわなければならなかったか、きちんとした説明してくれる医師は少ない。ほとんどのケースで、専門性のカーテンをたてに、誤りを認めることも謝ってくれることもまれだ。他の医師に助けを求めたところで、密室の医療の世界には自分たちを守るために築かれた沈黙の壁があり、患者の願いは撥ね返されるのがおちだ。



 どうしたらいいのか。これまで医療事故が社会問題になりにくかったのは、それがミスを起こした医師と患者の個々の問題として片づけられ、医療システムの根底にある問題がうやむやになっていたからだ。そこで米国ではいま、医療を自らの問題として捉える患者や支援団体のネットワークが誕生し、医療を国民全体の問題として改善しようと声を挙げ始めている。州や大企業もこれに同調し、医療システムを見直す動きも始まった。



 その結果、今後、医療界は医の現場で起こった事実を患者だけでなく社会に対しても開示することが求められるようになるだろう。病院は医療ミスが起きたら、その事実を記録し、公的機関に報告する義務を負うべきだ。年間1兆5000億ドルをも投入されている医療システムには、社会に対してそれだけの説明責任がある。



 実は同じような動きが我が国でも始まっている。いくつかの大学や病院で、患者も交えた事故調査委員会が発足しており、九州大学には医療紛争に対応する人材を育成する講座が開設された。事故の当事者にインタビューし、その実態を伝えたこの本は、我が国の医療界にも共通する多くの問題点を明らかにしているが、同時に私たちが知らない「ナマ」の米国医療の顔もかいま見せてくれる。医療の実態に通暁した訳者による巻末の参考資料は訳文とともに親切で明快、関係者のみならず多くの読者に有益な1冊といえる。



(松田 博市)



書名:沈黙の壁 語られることのなかった医療ミスの実像
著者:ローズマリー・ギブソン、ジャナルダン・プラサド・シン
訳者:瀬尾 隆
出版:日本評論社
税込価格:¥2,730(本体:¥2,600)
サイズ:四六判/315ページ
ISBN:4-535-98245-7
発行年月:2005年9月



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