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“明るいおカネ第一主義”の伝道師 ライブドア社長 堀江貴文〜その1

2005年3月4日

2004年のプロ野球の新規参入騒動は、異色のニューヒーローを生んだ。



ホリエモンこと、堀江貴文。32歳の挑戦的な金持ちの登場は、「礼儀知らず」と年寄り達を激怒させ、閉塞感の中にいる若者達を歓喜させた。



オタク的パワーで“売り上げ世界一”を目指す彼のルーツとは――。




堀江貴文は「経営は爆発だ」のノリで競技場に登場した。堀江自身が爆発物ではないのか。そう言いたいほど、2004年はプロ野球界も、証券市場も、メディアも彼にかき回された。プロ野球の新規参入騒動は、図らずも「旧」、「既存」、「権威」に一人で挑戦する「若武者」を印象付けた。



ライブドア社長 堀江貴文



私は堀江に聞いた。革命に興味ありますか?



「革命を目的に行動する気は全然ないですね。革命って、終わった後、また新しい体制が出来るだけじゃないですか。明治維新だって、終わったらみんな自己保身に走ったわけだし」



むしろ、自分は単純に世界一を目指す「アスリート」だと力まず言う。



「会社を売上高で世界一にします。孫正義、ビル・ゲイツを抜くことは時間の問題です。でも、それも僕の人生の通過点にしか過ぎません」



不遜で挑戦的な若者。しかし「カネ」を持ってる32歳だ。ライブドアの株式時価総額は今や2549億円(1月20日現在)、その36%を個人資産として手中に収める。一体、この男は何者だ?



プロ野球新規参入問題の渦中で、巨人軍前オーナーの渡辺恒雄は言った。「オレも知らないような人が入るわけにはいかんだろう。カネさえあればいいってもんじゃない」。



旧勢力に君臨する男のコメントだ。しかし、堀江はこう反撃した。「世の中にカネで買えないものなんて、あるわけない」。身も蓋もない発言だ。彼は「唯金論者」なのか。それとも守銭奴?



彼の言わんとするところはこうだ。



「カネで買えないものは、差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準ではないか」



ホリエモン行くところ、記者が集まる(2004年末の「流行語大賞」授賞式にて)



1991年、東京大学文科三類に入学した彼を失望させたのは、カネにまつわる現実。「ショックだったのは、東大の先生だって学問をやる資金に苦労していたことでした」。大学の恩師は、湾岸戦争を振り返り、「イラク人と日本人で、命の値段は違うのです」と説いてナイーブな彼を混乱させた。



カネについては、もう一つ痛切な体験がある。起業を急ぐあまり、当時付き合っていた女性の父親に600万円を借りた。後にこの借金は、泥沼の「お家騒動」に発展する。



彼が起業し、有限会社「オン・ザ・エッヂ」を立ち上げたのは96年。23歳、まだ学生だった。



「インターネットに出合ったことが重大でした。時間がない、早く起業しなければ、と」



3年後、会社が急成長を遂げ、上場の話が持ち上がった時、内部対立が起こり、30人程いた社員の内、創業メンバーを中心に10人前後が辞めた。その中に、この「最大の出資者の娘」がいた。当時、彼女との関係は冷え切っていたが、その時点で彼女の持ち分は、全株数の40%。時価総額5億円に達していた。



別れ際こそカネが大事だ、と思った。彼は銀行に個人融資を頼み、5億円を彼女に「返した」。この痛切な体験がカネに対する姿勢を「筋金入り」にした。そして、経営者としての彼に「気合い」を入れた。



黒豚トンカツを語る東大生



「人間が作り出した最もパワフルな文化がカネです。言葉よりもカネの方が世の中に押し通るのです」。こう語るのは、東京大学教養学部で堀江のゼミ教官だった船曳建夫である。専門は文化人類学。彼は入学した堀江の印象を語った。



「彼はインテリ系でも体育会系でもない、東大生には珍しい“欲望派”とでも言うんでしょうか。黒豚トンカツがいかに美味いか、熱っぽく語っている時の堀江君を強烈に覚えています」



カラオケ十八番は中森明菜の「DESIRE(ディザイアー=欲望)」。一体、彼は何に飢えていたのだろうか? 私は彼の欲望のルーツを求めて、故郷の福岡県八女市に向かった。



八女という駅はない。「あげんがもん作るとよそ者がいっぱい来るけん、せからしう(せわしなく)なるだけん、八女には駅はいらん」。町の人の説明だ。



八女茶と仏壇と提灯が特産の保守的な町。その町外れに、見合い結婚した夫婦の一人っ子として、72年に堀江は誕生する。「うちは八女のストレンジャーです」と彼は言う。新興の開拓地に祖父がたまたま疎開してきて、地縁はない。「ふるさと」の風情もない。マイカーが行き来する自動車道路に面してセブンイレブン、その隣に彼の実家がある。



父、奉文は、地元の日産系列の会社に勤めるサラリーマン。昨年、定年退職した。息子を徹底してストイックに育てたことを誇りにしている。



柔道を習わせ、小遣いは与えず、新聞配達をさせた。中高一貫のエリート校、久留米大附設に通うのに6年間、毎日20キロの道を自転車で往復させた。



「自動車が2回、貴文にコブついたよ」。八女弁で「ぶつかった」という意味だ。



父と子が通った樋口理髪店に案内され、私も髪を切ってもらった。女性店長が懐かしむ。「本当に仲のいい父子で、貴文さんが高校を出るまで一緒にここに来ていましたよ」。



ところが後日、東京で、堀江に父の話に水を向けると、彼は顔をしかめて言った。



「仲がいいわけないですよ。ひいきの巨人軍が負けると、僕を庭の木に縛り付けるような親父ですよ(これか! 読売との因縁)。床屋に一緒に行ったのは、親父が運転する車しか移動手段がなかったからですよ」





共働きの母は自動車教習所に勤めていた。昔も今も、堀江を知る人は皆、彼の凄まじい食欲に言及する。その理由を、本人はこう説明する。



「金持ちになりたい」



「子供の頃、満足なものを食えなかったからですよ。母親は小作農の出で、元々、料理のスキルがない。それに勤めがあるから、毎日、通り一遍のメニューばかり。友達の母親に初めてファミレスに連れてってもらった時、世の中にこんなウマいものがあったのか、とびっくりしました」



小学校時代に担任だった星野千代子は、彼が小学校4年の時、「将来の夢」という課題に、「金持ちになりたい」という題で作文を書いたのを覚えている。カネで何とか状況を変えたいと思ったのだ。



星野の記憶では、「自宅に行くと地球儀と百科事典がありました。何でもよく暗記していました」。学校から帰ると、老いた祖母だけがいた。「おばあちゃんの詠むお経も暗記していましたよ」。



車がなければどこにも行けない。学校から帰ると、地球儀が友達だった。彼が腐らず、グレなかったのは、「あきらめた」からである。「世の中には変えられないものがある。自分の容姿とか、もろもろ」。



だったら、変えられることを変えるっきゃない。八女を出よう! 東京に行こう!――高校も3年生になってから彼は東大受験を決意し、猛勉強を開始する。劣等生だった彼の東大合格は周囲を驚かした。


父親ほどの歳の経営者達を前に講演。「おカネがある限り、会社は絶対に潰れません」と熱弁を振るう


その2に続く


取材・文◎石井信平
写真◎菅野勝男(ライブワン


※この記事は日経ベンチャー2005年2月号に掲載されたものです。取材が行われた2005年1月現在の内容となります。


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