円・元・ドル・ユーロの同時代史 第39回〜ドルをアジアから追い出せ?(1)
Chapter 6 消えた円圏構想
2 円の国際化と「ア太会」という存在
「円の国際化」とは霞が関流の婉曲話法であって、ありていに言うと、少なくともアジアからドルを押し出してしまうことである。「円圏」とはすなわち、ドルを排除した経済圏ということだ。
ところが「大東亜共栄圏」復活を思わせがちな後者の用法は無論のこと、円を国際化するという回りくどい表現でさえ、大蔵省(今日の財務省)は慎重にもあまり使おうとはしなかった。
1996年初秋のことと記憶するけれども、後に「ビッグバン」として打ち出される一連の金融規制撤廃策のうち、外国為替取引自由化にかかわる政策変更が果たして円の国際化を目指した動きではないのか、大蔵省国際金融局長だった榊原英資氏にただしたことがあった。
すると榊原氏は言下にかぶりを振った。その否定の仕方には、明らかに性急さが感じられた。大蔵省がドル排除へ向け動き出したとする世論を、つくられてはかなわないというふうだった。
このように円の国際化とは大蔵・財務官僚にとっては一貫して、米国とどう間合いを取るかに行き着く問題である。「米国という虎の尾を踏んではならない」ことは、代々官僚の間で口伝となっていた。
米中に挟撃された榊原英資氏
他方アジア、とりわけ中国のアレルギー反応が、好意的世論をつくり出すうえでことごとに障害となった。
それを典型的に示したのが、97〜99年にかけアジアを襲った金融危機のさなか、IMF・世銀で足りないところを補完する機関として日本が打ち出した「アジア通貨基金(AMF)」構想をめぐる一件である。構想は、江沢民体制の北京によって葬り去られてしまった。
上海国際問題研究所で日本研究チームを率いる呉寄南氏が2003年初頭、筆者に語ったところによると、「これはほとんど反射的反応だった。日本がまた、アジアで主導権を取ろうとしている。許してはならない、というわけ」だったという。
呉氏によれば「潰すべきでないプランを短慮のもと潰してしまった」ことを、北京はすぐ後に悔いたという。しかしAMF構想はそれ以前、米国の激しい生理的反発に直面していたから、北京にも一蹴されたとあってはひとたまりもなかった *1。
安全網をもう1枚張り渡しておき、アジア諸国が資金繰り難に陥った場合の助けとしようという提案の趣旨は、ほとぼりが冷めたあと米中双方によって再評価されたものの、無論後の祭りである。
当時財務官として構想を打ち出した榊原氏に、せめてもう少し交渉力があり、成功体験を残すことができていたら、後の推移が随分と違っていただろう。
事実はというと、「やはりアメリカには逆らえない。中国も厄介だ」という二正面での無力感を官僚たちの間に残して終わった。
戦争抜きの円圏はあり得たのか
チャールズ・キンドルバーガー(故人)、ロバート・ギルピン(プリンストン大学名誉教授)流のいわゆる覇権安定論によると、基軸通貨のような国際公共財を提供することができるのは覇権国であり、覇権国のみである。
したがって基軸通貨が交代するとは、覇権国自体の入れ替わりを意味し、通常それは大きな戦争を媒介するとされる。
もっとも、人類はこれまでグローバルな基軸通貨を英ポンド、米ドルのほかにもったためしがない。基軸通貨相互の交代も、それゆえたった1度しか経験したことがない。「戦争を必要とする」と主張する覇権安定論を証明するには、実のところ材料の不足が否めない。
しかし通貨を伴う取引は、それがクルマや石油のような具体物を巡るものであれ、資産をやり取りするものであれ、つまるところ契約行為の束である。
契約には最終的な強制執行者がなくてはならず、それはどんな説明経路をたどるにせよ、結局は覇権国へ行き着く。説明の仕方が多様であるというのは、スーザン・ストレンジのように、「構造的権力」(スーザン・ストレンジに関する補論を参照))という枠組みを想定する方法もあるからだ。
このように見てきた場合、日本が円を国際化できたか、円圏を持つことができただろうかという問いは、覇権国米国が提供するドルをさしおいて、一層魅力的な公共財としての価値を、非権力的に、戦争を伴わず、日本が自国通貨に与えることなどできただろうかという問いに行き着く。
この点――最終執行権力として暴力的介入をする意欲、能力ともにない日本が、両者を兼ね備える米国を押しのけるほどの力をもって円を基軸通貨にできるか――がどう考えられていたかは、文献的にたどることが極めて難しい。代表的論者はおしなべてここを素通りして言及を避け、思考自体を放棄してきたと見られるからである。
90年代前半の希望的合意
だが今日振り返って、次のような漠然とした合意はあったと言っていいだろう(いま無造作に「漠然とした合意」という言葉を用いたけれども、この言葉がもっていた意味はすぐ後に取り上げることにする)。
漠たる合意のうち前提をなしていたものは、軍事力、政治力において見劣りしたとしても、日本の貿易力と資金力には比類のないものがある、という信仰に近い発想である。この面に関する限りアジアで並ぶ者がないのは無論のこと、米国とさえ匹敵するか、凌駕しかねない力がわが国にはある、とする見方だ。
ここから、仮に歴史に前例を見ないとしても、経済力のみをもって基軸通貨をつくり、また広めることができるのではないかとする希望的観測が生まれ、共有されていた。
ちょうどそのころ野村総合研究所の気鋭として注目を浴び始めた香港生まれのエコノミスト、関志雄氏が主張した説は、この希望的観測を勇気づけるものとして歓迎された。
アジア諸国の景気は米国景気以上に、日本の景気と連動性を強めつつある。各国とも、自国通貨の対円レートを安定させることに利益を見出すだろう。それは、円を各国が保有しようとする動機を増すはずだと論じた関氏のロジックは、主語を日本でなくアジアにしてくれたことで、日本人の肩の荷を軽くするような心理的効果を持った。
戦争以来の微妙な贖罪意識から、アジアに向かって右へ倣えとはどうしても言えなかった日本に代わって、ほかならぬ香港出身のエコノミストが「右へ倣った方が得である」と言ってくれたことは、力強い援軍の登場だと思われたわけである*2 。
他方また、円の国際化は絶対必須の政策課題であると見られていた。前節で見た通り、90年代前半の日本は米国の円高攻勢に苦しめられた。自国の交易条件を米国に意のまま変えられてはかなわないとする怨嗟の声が、官界、財界に広がった。
取引決済通貨として米ドルを使わざるを得ない限り、為替相場の激変からくるリスクを逃れることはできない。この際、円で完結する取引シェアを増やすべきで、それには他国に円を使ってもらう必要がある。すなわち円の国際化を推進しなければならない、という論理の組み立てを取った。
さらにまた、貿易に関心を払う通商産業省(当時)には、将来日本が純輸入超過国となり、国内貯蓄の減少とあいまって、経常収支赤字を出す米国のような国になったらどうするかを懸念する向きがあった。
その際日本が発行する国債を、いま米国債について日本がまさしくしているように、アジア各国がこぞって買ってくれるだろうか。くれなければ日本は資金繰りに苦労しなければならない、とする、極めて気の早い強迫観念に基づく主張だった。
いま改めてこれらの主張を整理してみると、それは緊急避難的要素と、覇権追求的衝動とを、双方兼ね備えていたと言えるだろう。今にしてみれば、いずれもわずかに90年代前半においてのみあり得た発想であり、心象風景だったと言わねばならない。
米国軍事力のくびきは冷戦の終焉とともに弱まり、アジアにおいて権力の空位・空白が生まれそうな予感があった*3 。そこを日本が埋められる、埋めるべしとする雰囲気が存在していた。
円高攻勢によって日本の力を奪いにかかってきた米国に対しては、窮鼠猫を咬む、またはいじめられた子どもが親に逆らってみせるような、甘えに裏打ちした反逆心が持たれていた。
一方経済力に関する大いなる自信は、この時期がまだ中国の本格台頭以前の牧歌的時代だったところに由来しよう。
90年代は下るにしたがって、北朝鮮核開発の脅威に対応するため日米軍事同盟の強化が進んだ。中国はまず経済大国として現れ、じきに、政治大国としても認めるほかない存在となった。何より日本自身の経済力が、90年代を通じて凋落の一途をたどった。
円を国際化させようとする主張は、今日なお完全には姿を消していない。だとしてもそこには、90年代前半に込められていたような情熱、野心、または夜郎自大な思い上がりが消えてなくなった。残ったものは官僚的イナーシャ(慣性)であり、瑣末な技術論に過ぎない。
■ドルをアジアから追い出せ?(2)に続く
*1:この間の事情について詳しくは、拙稿「ワシントン・コンセンサスの呪縛 1990年代アジア金融の問題軸」、中尾茂夫監修『日本経済再生の条件』(筑摩書房、2003年3月)を参照。
*2:この受容過程は関氏自身の意向と無縁に進んだ。関氏は学問的に緻密な操作を経て、検証可能な説として打ち出したもので、動機は非政治的である。96年度アジア・太平洋賞を得た『円圏の経済学』(日本経済新聞社、95年)ほか参照。
*3:このような状況をとらえ、当時は「米国離れ」を説く主張が少なくなかった。論者は江藤淳(故人)、石原慎太郎、政治家の小沢一郎から、「沈黙の艦隊」という作品で時代の雰囲気を活写した劇画作家、かわぐちかいじにまで及んだ。拙稿「かわぐちかいじ作品が提示する『日本人の心を考える3冊』」、日経ビジネスアソシエ、2003年12月16日号所載を参照。
*4:長富による大平内閣の回顧は『近代を超えて・故大平首相の遺されたもの』上下巻、(大蔵財務協会、1983年)を参照。
*5:以下引用は拙稿「特集―第一部・アジアを向く大蔵省・円を基軸通貨に米国と『距離』保つ」、日経ビジネス1994年10月31日号所載から
■関連記事
ドルをアジアから追い出せ?(2)
谷口智彦
日経BP社編集委員室主任編集委員、2004年9月〜2005年6月は米ブルッキングズ研究所北東アジア政策研究センター・フェロー。1985年12月〜2003年8月日経ビジネス記者、後主任編集委員。この間、米プリンストン大学フルブライト客員研究員、ロンドン特派員、ロンドン外国プレス協会会長、上海国際問題研究所客員研究員。著書に『タテ読みヨコ読み世界時評』(日本経済新聞社)など。
過去アーカイブ 最新記事 画面先頭に戻る
- 「今までにないタイプのSQLインジェクション」、ゴルフダイジェストへの不正アクセス (17:28)
- 4月改編の反動か!秋の新バラエティで同時多発的に起った異変 (17:26)
- BMWJ、最新ナビと新iDriveを全モデル標準装備した「ニュー BMW 3シリーズ」 (17:26)
- TGS2008特報:今年のスクエニブースは、マイクロソフトブースとの連携に注目 (17:24)
- 本気で持ち歩く人のためのミニノート「FMV-BIBLO LOOX U/B50」 (17:24)
- TGS2008特報:FF20年の集大成、『ディシディア ファイナルファンタジー』 (17:23)
- TGS2008特報:女性からマニアまで楽しめる『シドとチョコボの…』ほか (17:23)
- トマム「山頂駅の雲海」事件 第1幕 (17:07)
- 松本引越センターが破産手続きへ、事業継続を断念 (15:47)
- 森永卓郎:今まさに瓦解する市場原理主義 (15:35)

