解説:情報収集衛星、宇宙開発事業に甚大な悪影響
2003年3月14日
IGSはそこまでして推進する価値のある計画だったのだろうか。筆者は「安全保障という目的のために、IGS以前に打ち上げるべき衛星があった」と考えている。気象衛星、詳細地図作製のための地球観測衛星、測位衛星だ。
●IGSに予算と人員を食われて将来計画が空白に
表1は総額2538億円に及ぶIGS開発予算の支出、開発を受託した宇宙開発事業団(NASDA)の予算の推移をまとめたものだ。これからはっきりわかるのは、開発が本格化した2000年度からNASDAの予算は総額が増えず、既存計画を食いつぶすようにしてIGS予算が増えているということだ。2002年度などは、実にNASDA予算のうち25%以上をIGSが占め、既存計画を圧迫している様子が見て取れる。
・表1 IGSとNASDA予算の関係(単位:億円)
| 年度 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 |
| IGS予算 | 17.3 | 370 | 700.6 | 773.3 | 676.8 |
| IGS予算のうちNASDA向け予算 | 239.2 | 489.9 | 546.6 | ||
| NASDA予算総額 | 1851.0 | 1919.4 | 2002.4 | 2082.2 | 2040.3 |
| IGSを除く実質的なNASDA予算 | 1851.0 | 1919.4 | 1763.2 | 1592.3 | 1493.7 |
これに対して内閣府は宇宙開発委員会などで繰り返し「予算的には別」という答弁を繰り返している。表向き実質的な宇宙開発予算の減額は、「厳しい歳入状況のため」ということになっているわけだ。しかしこうして数字を並べてみると、「どうせ同じ宇宙分野の支出だから、建前とは別に実態はまとめてシーリング」という、霞が関官僚の姑息な数字合わせが見えてくる。
NASDAは、IGSに人的リソースも取られている。現在、全NASDA職員約1100人のなかのおよそ100人程度がIGS専任として働いているらしい。既存計画に携わる人員をIGSに振り向けるわけにはいかない。勢い将来計画を検討するための人員をIGSに振り向けることになる。
予算と人員をIGSに取られた結果、現在、日本の宇宙開発は全く将来計画がないという恐ろしい状況に陥っている。
NASDAの打ち上げ予定(表2)を見てみると、2005年度以降は、国際宇宙ステーション(ISS)関係の予定しか入っていないことがわかる。ISSはスペースシャトル「コロンビア」が空中分解事故(関連記事:シャトル事故、日本の有人活動には甚大な影響)を起こしたことによって、現在「予定は未定」という状態だ。つまり2005年以降、日本は独自の宇宙活動について独自の計画を全く用意できておらず、ただ一つ残った国際協力計画のISSも「どうなるかわからない」状況なのである。かろうじて2003年度からは温室効果ガス観測衛星の開発がスタートすることになっているが、それだけだ。
・表2 NASDA打ち上げ予定(2002年度から2007年度)
| 02年度 | H-IIAロケット | 情報収集衛星 |
| 03年度 | H-IIA | MTSAT-1R(気象衛星) |
| 03年度 | H-IIA | 情報収集衛星2回目打ち上げ |
| 04年度 | H-IIA | ALOS(地球観測衛星) |
| 04年度 | H-IIA | ETS-8(通信実験用技術試験衛星) |
| 05年度 | スペースシャトル | 国際宇宙ステーション用 生命科学グローブボックス |
| 05年度 | H-IIA | 増強型試験機 |
| 05年度 | H-IIA | SELENE(月探査機) |
| 05年度 | H-IIA | WINDS(超高速インターネット衛星) |
| 05年度 | スペースシャトル | ISS日本モジュール「きぼう」船内保管室 |
| 06年度 | スペースシャトル | 「きぼう」与圧部・ロボットアーム |
| 07年度 | スペースシャトル | ISS生命科学実験設備 |
| 07年度 | スペースシャトル | 「きぼう」船外実験プラットフォーム・ 船外パレット |
| 07年度 | H-IIA増強型 | HTV技術実証機(ISS向け補給船) |
技術開発のための衛星は、少なくとも開発に5年はかかる。IGSに予算と人員を取られた結果、日本の宇宙開発は将来何をするかが見えなくなってしまっているのだ。
●IGSではなく気象衛星、地球観測衛星、測位衛星を
冒頭でも触れたように、筆者は、国家安全保障のためには、IGS以前に整備するべき衛星システムがあったと考えている。気象衛星と、地図作製を目的とした高分解能地球観測衛星、そして日本独自の測位衛星である。
まず気象衛星だ。気象情報は民生面はもちろんのこと、安全保障分野でも重大な意味を持っている。IGSも光学衛星は雲やもやがあれば目標を撮影できない。運用計画の立案には高精度の気象予測が必須である。
アメリカは海洋大気庁(NOAA)が日本の「ひまわり」に相当する静止気象衛星「GOES」の他に、地球を南北に回る極軌道気象衛星「NOAA」シリーズを運用している。さらに国防総省が軍事専門の極軌道気象衛星「DMSP」シリーズを保有している。それほど気象情報は安全保障にとって重要なのだ。
ひるがえって日本はといえば、気象衛星を長年バックアップなしの1機だけという体制で運用してきた。1999年11月の気象衛星「MTSAT-1」打ち上げ失敗により、現在日本は、寿命が尽きかけた「ひまわり5号」(1995年打ち上げ)をだましだまし使い、さらにはアメリカから軌道上で待機している予備の気象衛星を借りるという状況に陥っている。その後、国土交通省は代替衛星「MTSAT-1R」と後継衛星「MTSAT-2」を発注したが、「NOAA」や「DMSP」のような極軌道気象衛星を保有しようという動きは出ていない。気象衛星の価格は1機140億円程度だ。静止軌道衛星の予備を1機、極軌道気象衛星を4機調達したとしても、1000億円もかからない。IGSの半額以下である。
●議論が欠如している日本の宇宙開発
精密な地図情報が安全保障にとって重要であることはいうまでもない。偵察衛星が撮影したデータの有効利用には、地図との照合が必要である。地球全域の地図を作製するための高分解能地球観測衛星は、IGSが開発に入る以前からNASDAが「ALOS」という名称で開発を始めていた。しかし、IGSのあおりをうけた予算削減のために計画はずるすると遅れ、当初2002年だったALOSの打ち上げ予定が、現在は2005年になっている。これは明らかに本末転倒だ。ALOSが取得するデータが事前に用意できていれば、IGSの有用性も増大したはずである。ALOSの開発費は459億円である。
自分が今、どこにいるかを知るための測位衛星は、軍用、民生を問わず重要である。米国防総省が軍用に開発した測位衛星システム「GPS」はカーナビに使われ、今や生活に欠かせないインフラとなっている。アメリカは測位衛星での独占を求めて各国の計画に干渉しているが、欧州はアメリカの圧力をはねのけ、独自の測位衛星システム「ガリレオ」の開発を昨年決定した。ロシアは旧ソ連時代に構築した測位衛星システム「グロナス」を維持すべく努力しており、中国も、2010年までに独自の測位衛星システム構築を目指すという方針を公表している。
米国防総省は1970年代から開発してきたGPSに2兆円以上を投資した。しかし欧州のガリレオはGPSと同等のシステムを36億ユーロ(約4600億円)で構築する予定だ。技術の進歩が測位衛星システムのコストを下げているのである。
注意深くシステム設計をするならば、2000億円以下でも独自の測位衛星システムを構築することができるだろう。
1998年に北朝鮮が「テポドン」を発射した結果、なし崩し的にIGSの開発は始まった。しかしそこには「具体的にどのような宇宙インフラを開発すれば安全保障をより少ない予算で確固たるものにできるか」という議論が欠如していた。そのツケは国民が払うことになる。
◆筆者:松浦 晋也=ノンフィクション・ライター。1962年、東京都出身。日経BP社記者として、1988年〜1992年に宇宙開発の取材に従事。著書に「H-IIロケット上昇」(日経BP社)
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