視点:科学技術計算で日本の優位が揺るがない理由
2002年8月13日
BizTechでも、IBMや富士通、コンパックコンピュータなど各社がグリッド・コンピューティングに積極的に参入する姿を伝えた。またこの分野で先行しているNECが大阪大学や東京工業大学へシステムを納入、グリッド・コンピューティングが研究現場で本格的に使われだしたことも、世の中に知られつつある。
ただし、このグリッド・コンピューティングには、ひとつ欠点がある。それはネットワークで接続している個々のマシン間で、常時大量のデータをやりとりする必要があるような演算処理には、あまり向いていないのだ。このため、各マシンに演算を単独で実行させ、結果を集約する、といった用途に使われている。
こうした制限がないスカラー型計算機もHPCの分野で市場を席巻しつつある。現在のスカラー型計算機はSPARCやPA-RISC、POWERなどのRISCプロセサを多数搭載することで高い計算能力を得ている。富士通や日立製作所はスーパーコンのラインナップをベクトル型機からスカラー型機に置き換えた。また米Hewlett-Packard(旧Compaq Computer)や米IBMのスカラー機もHPCの現場で活躍している。
グリッド型、スカラー型など、この種のマシンはHPCの分野ではいわば“汎用型スーパーコン”という位置付けにある。処理効率は別として、取り扱う問題を選ばず、しかもベクトル型機と比較すると安価であるという特徴を持っているからだ。しかし一方で、これまでHPCの主流だったベクトル型スーパーコンにも根強い需要がある。これは、ベクトル型スーパーコンのプロセサは、「ベクトル・パイプライン機構」という大規模な科学技術計算に適した構造を備えていることによる。
●ベクトル型の性能が欧米の研究者に大変なショック
この4月、記者は「実は世界を1桁リードしているぞ! 日本のスパコン」という記事を書いた。ここで取り上げた「地球シミュレータ」という名前の超巨大スーパーコンは、記事執筆時点で14.5テラFLOPS(1テラFLOPS=1秒間に1兆回の浮動小数点演算を実行)という世界最速の実効性能を出していた。これだけでも世界に誇れることなのだが、「LINPACK」という世界標準のベンチマーク・テスト・プログラムを稼働させたところ、地球シミュレータは何と35.86テラFLOPSという実効性能を出し、自ら持つ演算性能の世界記録をあっさりと塗り替えた。「TOP500 Supercomputer Sites」というサイトに詳細が出ているので、関心のある方はご参照いただきたい。
ところがこのニュース、日本ではほとんど一般のメディアに取り上げられず、大きな話題にならなかった(BizTechでは4月18日に紹介)。ところが欧米では大変な話題になったようなのだ。米国のNew York Timesや San Fransisco Chrinocle, 英The Observerなどが「地球シミュレータが驚異的な実効性能を出した」と大見出しで伝えていたのである。スーパーコンのアーキテクチャと応用技術の研究で世界的に有名な東京大学大学院情報理工学系研究科の小柳義夫教授は「地球シミュレータの出した実効性能は、欧米の多くの研究者に大変なショックを与えた」とコメントしている。「彼らにしてみれば、日本のマシンがここまで凄い性能を出せるとは予想外だったようだ」(小柳教授)。この地球シミュレータこそ、いまや日本でしか商用機が作られることがなくなった、ベクトル型のスーパーコンなのである。
●大規模計算に強み
ベクトル型スーパーコンの強みは、何と言っても大容量のデータを取り扱う気象解析や衝突解析など大規模科学技術計算で威力を発揮することだ。具体的に言うと、大量のデータをプロセサ−メイン・メモリー間でやり取りするようなアプリケーションで、絶大な効果が得られる。これはベクトル型プロセサのアーキテクチャによるところが大きい。
プロセサ本体の単体でのピーク時演算性能は、ベクトル型がスカラー型の4〜5倍だが、この差は徐々に縮まりつつある。スカラー型も、マルチプロセサ構成にしてプロセサ台数を増やせば、プロセサ本体のピーク時性能では、ベクトル型と同じレベルを達成できる。
ところが現在のスカラー型では、どうしてもベクトル型のアーキテクチャにかなわないところがある。それはプロセサ−メモリー間のデータ転送バンド幅だ。例えばベクトル型であるNEC製の「SX-6」の1プロセサあたりのバンド幅は32ギガバイト/秒である。対するスカラー型で世界最速と言われている米IBMのマイクロプロセサ「Power4」の場合、1プロセサエレメント(注:1エレメント中に演算機を2台組み込んである)あたり6.9ギガバイト/秒だ。ベクトルとスカラーのバンド幅の差は約5倍。これが演算性能に大きく効いてくるのである。
これから1回の演算で扱うデータ量が大きければ大きいほど、ベクトルとスカラーの演算効率の差は広がることが想像できるだろう。バンド幅が小さければ、プロセサ側ではデータの到着を待たなくてはならないからだ。計算結果をメモリーに転送する場合も同じで、データ量が大きく、バンド幅が小さいと、待ち時間が発生する。「それならバンド幅を大きくすればスカラーでも性能が出るのではないか」という意見も出よう。しかし「プロセサのアーキテクチャ上、スカラーではベクトル型ほどバンド幅を大きくすることができない」(小柳・東大教授)のが現実だ。具体的に言うと、現在のスカラー・プロセサのデータI/O機構部分を、これ以上大きくすることができないのである。これはプロセサのI/O制御能力に限界があるためとプロセサのピン数を増やすことが物理的に困難だからだ。もちろん、プロセサ全体の処理能力を高めI/O制御を高速化し、さらに実装技術を進歩させてプロセサのピン数を増やすことは可能だ。しかし、今のスカラー・プロセサがベクトル・プロセサのレベルに追いつくには、まだまだ時間がかかる。こうした技術的背景から、科学技術計算で1度に取り扱うデータ量が大きければ大きいほどベクトル型に軍配が上がるのである。
●米政府機関も欲しがっている
ベクトル型スーパーコンを商用機として継続的/安定的に提供できるメーカーは、もはや世界中で日本のNECしかなくなってしまった。このためNECには、「全世界の研究施設や自動車メーカーからベクトル機(SX-6)の引き合いがとぎれなく来ている」(NECソリューションズの渡辺貞・支配人)という。渡辺支配人が言うように、気象解析をはじめとする大規模科学技術計算ユーザーからベクトル機のニーズが高い。例えばUSGCRP(United States Global Change Research Program)が発行したレポートなどでも、「大規模科学技術計算には今後もベクトル型スーパーコンが不可欠」と指摘している。
実は米国政府もベクトル型スーパーコンを欲しがっていることが、このほど明らかになった。それもNSA(国家安全保障局)という政府の中枢機関がである。どのようなアプリケーションを稼働させるのかは不明だが、とにかくベクトル型スーパーコンが必要になったというのだ。もっとも手軽なのは、NECからベクトル機を調達することである。米国でも米Cray社がNEC製スーパーコンをOEM(相手先ブランドによる生産)調達し、販売しているから、NEC機を導入することは容易である。しかし米政府にも「面子」があり、国家の中枢機関に日本製マシンを導入するわけにはいかない。仕方がないのでNSAは、Cray社に対してピーク時性能が数十テラFLOPSのベクトル型スーパーコン開発を発注したのである。
米国であれば特注マシンを作るしか方策はないのに、NECはそれを商用機として量産し、米国を除くほぼ全世界に出荷しているのである。しかも、「利幅は大きいとは言えないが、きちんとした事業として確立している」(渡辺支配人)という。これは日本として世界にもっと誇るべきことではないだろうか。少なくとも記者はそう思う。なおNECの渡辺支配人によれば技術的限界が来るまで、同社ではベクトル型スーパーコンを開発し続けるという。大規模科学技術計算分野での日本の優位は、当分続くことになりそうだ。(田中 一実=BizTech副編集長)
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