ユニクロ次期社長は玉塚氏、本命沢田氏に何が起きたか
2002年5月21日
「社長をやるのか、やらないのか、結論を出してくれ」
柳井社長は当初、4月の売上高を公表するタイミングに合わせて、5月初めに、沢田氏の社長就任を発表する予定でいた。だが、ここ半年ほど沢田氏の態度は煮え切らなかった。「次の体制について話せば話すほど、沢田君から元気がなくなっていった」と柳井社長は振り返る。
1997年5月に伊藤忠商事からファーストリテイリングに転じた沢田氏は中国の生産拠点整備などを陣頭指揮し、ユニクロモデルと呼ばれる製造小売り(SPA)の仕組み作りに大きな役割を果たしてきた。同社に加わった1年後には既に、柳井社長はその手腕を見込み、次期社長にと本人に伝えている。
だが、当時は古参役員が相次いで退任し、中途入社の若手を抜擢した時期と重なり、「沢田さんが入ったため、ほかの役員が辞めさせられたと見られては困るし、彼もまだ人心を把握しきれていなかった」(柳井社長)。そのため、沢田氏の社長就任はいったん見送られた。再び、2人がトップ交代について話し合うようになったのは1年前だった。
最終段階になって、沢田氏が下した結論は「やはり独立したい。こうした中途半端な精神状態では副社長も続けられない」。5月末での退任が決まった沢田氏は「辞める人間があれこれ話すのは会社に迷惑がかかる」と多くを語らないが、彼を知る人物の多くは「独立したいから」という本人の弁に偽りはないと受け取る。
山口銀行出身で昨年11月まで同社相談役を務めた加藤信義氏は「沢田君は以前から強い起業意欲を持っていた」と言う。沢田氏は90年代前半に伊藤忠商事社員として米国に駐在していた時、スターバックスコーヒーの会長兼最高経営責任者(CEO)だったハワード・シュルツ氏(現会長)と親しくなり、同社が瞬く間に全米に店舗を広げていく様を間近に眺めた。
「あれを見て自分もシュルツ氏のようになりたいと思うようになった」。沢田氏は加藤氏にそう話したという。
伊藤忠商事を去る時には、当時の上司に「いつかは、自分で小売りの会社を起こしたい」と語っていた。40代半ば(44歳)という年齢を迎え、独立起業の夢を実現するタイムリミットと考えたとしても不思議ではない。
●強気の社長、対話重視の沢田流
もっとも、その背景には柳井社長と沢田氏の経営スタイルの違いがあったようだ。「泳げない者は溺れればよい」という有名な言葉が示す通り、柳井社長は、極めて達成の難しい高い目標を提示し、それに格闘することでのみ組織は進歩するという考えを持つ。「無理です」「できません」という言葉を許さず、社員を常に強いプレッシャーにさらす。これに対して、沢田氏も強気な性格は同じだが、現場社員の実情に耳を傾け、歩み寄るところもある。
これまでは、柳井社長が高らかに進軍ラッパを吹き鳴らし、沢田氏がそれに合わせて現場をまとめ上げるコンビ経営はうまく機能してきた。だが、昨秋以降、既存店売上高の減少傾向に歯止めがかからなくなる中、両者のスタイルの違いは経営方針の違いとして表れた。強気の目標設定を下ろさず、組織にムチを入れ続ける柳井社長に対して、目標と現実のギャップに悩み、弱気な発言をする沢田氏、という構図が幹部会議の場で目立つようになる。
両者をよく知る取引先幹部は言う。「沢田さんは柳井さんに反対意見も述べてきた。だが、最後にはオーナーである柳井さんの意見を入れるのは、組織人として当然のこと。このまま社長になっても、自分の思った通りの経営はできないと考えたのではないか」。
いずれにせよ、柳井社長は新たな決断を迫られた。社長交代を先延ばしにする手もあったが、業績が急激に悪化している中、ナンバー2が辞任したとあれば、様々な憶測が乱れ飛ぶ。そこで白羽の矢を立てたのが「幹部20人余りと個別に次期体制を話し合う中で、沢田君とともに推す人の多かった」(柳井社長)玉塚元一常務だった。
旭硝子、日本IBMを経て玉塚氏がファーストリテイリングに入社したのは98年12月。日本IBMの営業マンとしてサプライチェーン・マネジメント(SCM)システムを売り込みにファーストリテイリングを訪ねた際、柳井・沢田両氏に「SCMを売るより、実際の商売でやった方が楽しいぞ」と入社を勧められた。
手腕を最初に認められた仕事が、99年8月から展開した新しい広告だ。米国の広告代理店、ワイデン&ケネディーの日本支社と組み、ブランドイメージを前面に出した斬新な広告で同社の知名度向上に貢献。その後も、英国事業の立て直しに力を発揮してきた。
ファーストリテイリングの内情に詳しい流通コンサルティング会社、リテールサイエンス(東京都渋谷区)の大久保恒夫社長は「エリート然とした人が多いユニクロの若手幹部の中で、玉塚さんは机上の空論ではなく、現場と顧客の声から発想し、行動できる人」と言う。元相談役の加藤氏も「人を引きつける魅力では沢田君より玉塚君の方が上。若くて超多忙なため、視野が狭くなりがちな役員陣の中で、他人を思いやりながら仕事ができる唯一の人材」と太鼓判を押す。
玉塚氏は学生時代、慶応義塾大学ラグビー部の中心選手として鳴らした。ポジションはスクラム2列目両端に位置するフランカー。常にボールとともに走り、同時に相手攻撃をタックルで潰すフランカーは巧守両面のセンスが問われる。「顧客ニーズの具現化が我々のビジネス。全社員が現場視点で動く組織を目指す」と言う玉塚氏。後退一方の自陣を立て直し、反攻の糸口をつかめるか。(三橋 英之、山川 龍雄)
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